大学受験に失敗した18の春。
私はSWATのおいちゃんとおばちゃん(社長夫妻)に「店で使ってください!」と頼み込み、モデルガンショップの小僧になりました(^^)/
たまに顔を出す高校生でしかなかった私をよく雇ってくれたものだと思いますが、そのおかげで今の私があり、二人には今も感謝しています。
小僧の仕事は店の前の掃除から始まります。
その後、自動販売機へジュースの補充、レジへ釣り銭補充、ショーケースを磨きます。
ショップのショーケースに寄っ掛かって話すお客さんがいますが、何かの拍子でガラスが割れて店に多大な迷惑が掛かるのでショーケースには寄りかからないよう気をつけましょう。
SWATでもショーケースのガラスが割れてしまい、換えのガラスが高かったので、おいちゃんが透明ポリカネード板を切り出して代用したことがありましたが、所詮プラスチックなので、あっという間に傷だらけになり、何が飾ってあるか分からなくなりました(泣)
店が開いてからは接客は当然として、
・午前便で問屋から送られてきた商品の検品と在庫棚への片付けと新製品の展示
・通販の発送準備(梱包と宛名書き)
で昼になり、近くのうどん屋かホカ弁で食べてから
・通販の荷物を発送(小物は郵便局へ持ち込み、大物は宅配業者に集配を依頼)
そうこうしているうちに通販の現金書留が届き、
・注文内容を確認して、通販リストに記入し、荷造りと当日発送が可能な商品の発送
空いた時間には
・オリジナル商品のSWATゴーグルの作成(特注のポリカ製レンズを作業ゴーグルにはめ込む。レンズがめちゃ硬くて慣れないと指の皮が剥けてしまうので注意)
・カスタム製作の手伝い(おいちゃんが製作した迎夢X-1等の塗装等。サバゲーブーム最盛期のときは、くしゃみしたら黒い鼻水が出るくらい塗装しまくってましたw)
をしながら夕方から増えるお客さんの応対をしていると閉店時間となり、店内の掃除をして、その日の売上とシャッターを閉めてからおいちゃんとおばちゃんと一緒に晩飯を食べさせてもらい帰宅。といった毎日を送っていました。
たまにおいちゃんとおばちゃんが不在のときは私が開店から閉店まで一人で店番してるなんてこともあり結構ドキドキでしたねぇ。
ショップで働くメリットは何といってもモデルガンに触れられること!
自分では買うことのできない貴重なモデルガンも現物を手に取って知ることができたのは、その後の私を方向づけました。
当時SWATにはカスタム製作のための小さな作業場があり、好きに使わせてもらえたのも有り難かったです。
グラインダーや大型の万力、手打ち刻印ツールや多くの工具が揃っているので私は色んな加工を試すことができました。
残念ながら私のカスタムの腕前は上がりませんでしたが、素材の特性や加工法について学べたことは大きかったです。
他のお楽しみはベテランの常連さんから聞く体験談と貴重なコレクションを見せてもらえることでした。
発火が難しいハドソンのマドセンを1マガジンきれいにブローバックさせたり、「こんなカスタム作った」と見せてもらえるのは楽しかったですねぇ。
六研の真鍮モデルガンも持たせて貰ったりしてましたが金属モデルガンに興味のない私は「これが六研かぁ、ふ~ん」くらいの猫に小判の反応でしたw
SWATならではの良かったことは、おいちゃんと親交のあったイチロー・ナガタ氏が度々訪れてくれたことです!
コンバットマガジンのレポーターだったイチローさんを生で見られたのは東京以外ではSWATだけだったのでは?
この頃、Yさんは大学生で店に顔を出していましたが、住まいが遠かったので長時間滞在することが少なく、就職でSWATの近所に引っ越してから顔見知りになりました。
その後店が中心地の天神に移転してから故障したトイガンをボランティアで修理してくれるようになり、週末は私と二人で店に立つことになりました。
モデルガン全盛期だったこともあり、ジャパンビアンキカップに対抗してSWAT主催のモデルガンシューティング大会を開催したり、福岡で初めてのサバイバルゲームに参加したりと色んなことで遊びました。
そんな生活が6年程続き、私が就職で関東に旅立つこととなり、スタッフ一新を機にYさんもカウンターに立つことを辞めてお客さんに戻りました。
その後も先輩後輩として30年以上のおつきあいが続いています。
行動の原動力は明確なビジョンだという説がありますが、6年間の体験が今の私を動かしていることは確かです。
モデルガンというニッチな道楽にドップリ浸ってしまったおっさんの思い出話です。